40話 東西決戦前夜・・・集いしツワモノたち

 

「飯田監督、というわけです」

「なるほど・・それは大変なことになった・・・」

 

西本剛がもたらした驚くべき事実には二つの事案があった。

まず、第一点として、この東西対抗戦が、74日に行なわれる、日米対抗アンダー20大会の選手選抜を兼ねるため、オーバーエージ枠として、東西5名まで大学1年生(7月時2年生、満21歳未満)が参加できることになったということ。これは心強かった。東軍の5人は、西本剛(南武→武体大)、福沢俊吉・大森貞明(京王)、新島潔(殉教)、玄田鉄男(旺盛)という実に心強い5名。しかし、もう一つの変更点が重大だった。

なんと、試合は、朝6時半〜夕方5時半(日の出〜日没)11時間ぶっ通しの「マラソンフットボール」形式で行なわれ、選抜選手だけでなく、東西4強の全選手+助っ人のオーバーエージ枠選手、さらに監督推薦選手が交代無制限で制限時間一杯まで戦い続ける、ただし、怪我や反則退場等で、選手が11名以下になった場合はその時点で終了(ただし、それぞれ4チーム合同のため現実的ではない)というルールになった。

これを提案したのは、会場を提供した京都府知事の、山名宗厳元陸軍元帥であった。

そして、彼の真の狙いは、東軍総帥として、隠居して鎌倉に在住している、細川隆斎元総統を引きずり出すことにあった。実は、山名知事は、細川総統の洛中高校の2期先輩で、初代総統、初代地球防衛軍総司令官の座を争っていた。高校時代はともに力を合わせていたが、細川が海軍大学校、山名が陸軍大学校に進むと、ラグビー、漕艇、サッカー、柔道、剣道で悉く対決し、常に僅差で細川が勝利を収め、山名は常に悔しい思いをしていた。さらに、京都出身のはずの細川が、すっかり関東の人間になったことも裏切りと感じていたのだ。第三次世界大戦の時、細川はビクトリア2世を救出して英国を救い、日英側を勝利に導いたが、山名は壊滅状態の陸軍を建て直し、伊達家の私兵とともに北海道を奪回、さらに共産側拠点を粉砕した実績を持っていた。

 また、なにかにつけて東西対決、陸・海対決を企画するのが大好きで、97歳にして現役の知事、さらに京極高校の理事長を務めていた。「赤入道」と言われる彼は、先祖の山名宗全の生まれ変わりと言われていた。この打診に、細川元総統も二つ返事で了承し、細川・山名両家が全面的にスポンサーとなり、東西のアメフトの決着を、11時間かけて(11時間という時間は、かつて2人の先祖・細川勝元と山名宗全が戦った応仁の乱が11年続いたことに因む)争い、かつ来る対米戦の指揮権も争うことになったのだ。2人の強大な権力と財力を持つ老人の野望から、アメフトボーイたちは大変な戦いに巻き込まれることになってしまった。

 

 細川隆斎元総統を総帥に、南武高校の飯田源蔵監督が指揮を執る東軍は、京王高校、南武高校、京葉花園学園、吉本工業高校の4校の選手に加え、オーバーエージ枠の西本剛、福沢、大森、新島、玄田、そして監督推薦選手として、細川総統が目の中に入れても痛くない最愛の孫娘・由香の恋人で赤橋高校3年の、加藤隼人が選ばれた。加藤隼人は実は素人で、剣道・柔道など武道の達人なのだが、常人の10倍近い筋力を持つ超人で、試合の際は助っ人としてアメフトであろうがサッカーであろうが、野球であろうが出場している(一応、剣道部とサッカー部に籍は置いている。赤橋高校は、武道以外のスポーツは皆たいしたことはない)


600年前からのライバル・山名知事の強要に、隠居したはずの細川閣下までが巻き込まれて引きずりだされれてしまった。孫娘の由香の代理として、そのフィアンセ・隼人を出場させることに・・・。

 この結果、当初選ばれなかった佐藤義信らも出場が叶い、さらにサトミもフル出場できることになった。吉本の三郎と四郎もである。

 

一方、山名宗厳京都府知事兼、京極高校理事長が直接指揮する、西軍は・・・

西の王者・神戸神学館を中心に、大阪代表の太閤学園及び阪急高校、そして京都代表の京極高校の4校連合チームに、広島県と滋賀県の優秀選手若干を加え、オーバーエージ枠は5人使い切らず、神学館4聖人を採用した。


おなじみ神学館

四聖人再び!

マルーンの勇者・阪急高校。
地味だが堅実で高潔なチームだ。

自称太閤の生まれ変わり・羽柴成一監督率いる太閤学園。金色のユニフォームが成金趣味で下品だ。

鎧に身を固めた山名宗厳京都府知事兼陸軍元帥が自ら率いる、京都代表の京極高校

 

そして建国記念日・・・運命のキックオフの朝日が昇った!

 

 

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